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パリバショックから10年、当時のマーケットを振り返る

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パリバショックは2007年8月9月にBNPパリバ系列のファンドが解約停止措置を発表したことにより金融市場が大きく混乱した出来事です。

早いもので10年が経過しました。

パリバショックが発生したことで、サブプライム問題が世間一般に認識され、その後マーケットは低迷し、さらにリーマンブラザーズが破たんしたことでより深刻な事態となりました。

サブプライムローンについての懸念は少なくとも2006年頃には専門家の間では問題視され始めていました。

しかし、日本国内の一般的な金融マンや投資家でその問題を気にしている人はほぼ皆無だったと思われます。

パリバショックが起きた2007年8月以降も、日本国内ではそれ程深刻な問題とは捉えられていなかったと思います。

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結果的にみるとJ-REITは2007年6月から、日本株式は2007年7月から下落トレンドに入っていますが、米国株が10月まで上昇したこともあり、当時は「下がったところは買い」という人が多い状況でした。

2007年の10月以降はBNPパリバ以外のミューチュアル・ファンドやヘッジファンドでも解約停止が起きたり、いくつかのヘッジファンドの破たんのニュースが聞かれるような状況でした。

今考えると相当厳しい状況ですが、それでも引き続き「下がったところは買い」といった感じでした。

さらに2008年3月に米国第5位の証券会社であったベアスターンズが実質的に破たんしました。(実際にはタダ同然でJPモルガンチェースが買収したので正確には破たんではありませんが、実態は破たん同然でした)

この時も一時的に金融市場は動揺しましたが「これであく抜けする」といった声も多く、実際その後2~3か月間は日米共に株価が反発しました。

その後、リーマンブラザーズの破たんに加え、AIGの経営危機などを目の当たりにしたことで、日本国内でも多くの投資家がサブプライムローンやそれに伴う証券化商品の問題の大きさに気づかされました。

よって、多くの投資家が本当に「やばい」と感じたのは2008年9月になってからです。

この時すでに日経平均は2007年の18,000円台から12,000円前後まで下落、NYダウは2007年の14,000ドル台から11,000ドル前後まで下落していました。

AIGはサブプライムローンではなくCDSの受け手となっており、想定元本で約50兆円と巨額の取引残高がありました。

更にこの時に問題となったことはサブプライムローンやCDSが証券化商品として全世界にばら撒かれており、「誰がどのくらいのリスクを保有しているかが分からない」状況となっていたことでした。

そのため世界中の金融機関や投資家が疑心暗鬼となり、資金を出し渋るようになり急激に信用収縮が発生しました。

信用収縮がどれくらいすごかったかはTEDスプレッドが4%以上となったことが物語っています。

TEDスプレッドは3ヶ月物米国債と3ヶ月LIBORの差です。

つまり欧米の大手銀行同士の3ヶ月の資金融通で4%の上乗せ金利がかかるということです。

結局、この「どこにどれくらいリスクがあるか分からない状況」が金融市場には最悪な環境で2009年3月まで世界的な株価の下落は続きました。

ただし、上記のチャートを見ても分かるように、パリバショツク以降一方的に下落したわけではありません。

そして投資が難しいのは、上記にも掲載したように下落過程でもその時々では「買い場」という判断をする人が多く、下落トレンドを見極めてポジションを落とすことが極めて難しいということです。

今後、いつかは株式市場が下落トレンドになることも経験すると思いますが、その際には少しでも上記の状況を思い出して良い対応をしたいと考えています。

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